当社はもともと脱出ゲームの施設を運営していました。部屋の中に閉じ込められるのも楽しいものですが、重要なのは「脱出する」ことです。「いかに自分の居心地のいい場所から『脱出』して、さまざまな空間に適応するプログラムやコンセプトを生み出すことができるか」…脱出ゲームの施設を閉鎖した後も、このコンセプトは私たちのモチベーションを高める精神的な支柱となっています。
屋外を探索するゲームは、私たちが最初に作った非脱出型ゲームのアクティビティの一つでした。「Hidden Secrets Journey / なぞたび」は最初、東京の浅草とスカイツリー周辺で実施された約3時間の街歩き謎解きとして、約80人のチームビルディングイベントのために特別に作られました。
仙台の伊達政宗像、軽井沢のA.C.ショー邸、伊勢神宮近くのおかげ横丁など、すべての「なぞたび」は、この最初のプロジェクトで培われた基礎の上に成り立っています。
それぞれのエリアには独自の特徴がありますが、私たちはどのプロジェクトにも同様の目的と計画を持って臨み、そのエリアを実行可能なゲームエリアに変えていきます。先日チームメンバーのChloéが書いていたように、私たちは統一されたデザインの美学、ターゲットエリアのレイアウト、人を移動させるためのロジスティックスなど、さまざまな要素をこなさなければなりません。
しかし、イベントの核となるのは結局「パズルを解くこと」です。そのため私たちがとあるエリアに行くときの第一のミッションは「パズルスカウト=パズルのための現地調査」です。
文字通り、ゲームエリアの中でさまざまなパズルのベースとなる要素を見つけることから始まります。これまでに何百ものパズルになり得る要素を評価してきたことで、パズルの場所を選ぶプロセスはほぼ確立されています。ここで重要なのは、その場所のみではなく、エリア内の他の部分とどのように調和させて、プレイヤーに様々なチャレンジを提供するかです。
そこで、見つけた要素をパズルに使うべきかどうかを判断する際の基本的なルールとして考えていることを、以下にご紹介します。
「利用可能」と言える場合
- 人里離れた場所にある
これは必ずしも文字通り道から逸れた場所や人気のない場所のことを意味するのではありません。人々がいつも通り過ぎているにもかかわらず、本当の意味で評価されていない、興味深いものが街にはたくさんあるということです。現代社会は多くの歴史を黙殺してますが、それは悪気があるわけではなく、現実的な問題と言えるでしょう。今はツアーバスの駐車場になっているスペースも、かつては当時の名士たちの中庭だったかもしれないのです。
しかし、適切な場所に目を向ければ、過去の歴史を物語る像やプレート、トーテムなどを目にすることができることもあります。私たちは分かりやすい観光スポット(詳しくは後述します)よりも、こうした要素を強調して、知っているつもりの場所を新たに知ってもらうことを大切にしています。「何度も来たことがあるけど、これは見たことがない!」というのが、私たちに対する最高の評価のひとつです。
- 空間の有効な使い方ができる
脱出ゲームの部屋の中では、「空間」は現実的な制限ですが、目的をより明確にしてくれるものでもあります。逆に街中などの開かれた世界では、「空間」は無限にありますが、それだけに難易度も高くなります。そのためパズルの目的に合った、ある程度区切られた空間を探さなければなりません。それは小道や公共の広場であったり、あるいは忘れ去られたアルコーブなどであったりしますが、それらはある特定の方法で配置・構成されており、非常にやりがいのある不思議な関係を生み出しているものです。
今までに最も意欲的に取り組んだ空間は、鏡やランドマークのプレート、噴水などが設置された広場でした。こういったパズルは、頭の回転の速いプレイヤーが誤解したり、考えすぎたりする可能性を考慮して説明文を構成しなければならないため、開発が最も難しいと言われています。でもプレイヤーが何をすべきかの説明を上手くまとめることができた時には、「ああ、そうだったのか」と納得のいく回答に繋がるものなんです。まるで魔法のようでもありますね。
- 特別な配慮をしてみる
あまりにも有名な場所や要素は避けるようにしていますが、何かを発見したときには、もう一度見てみる価値があると思うこともあります。パズルは「語られていない物語」を知るための手段でもあると考えているからです。よく使うのは、歴史的なモニュメントやランドマークのそばに置かれている歴史が刻まれた記念碑などを見るという方法。その出来事が悲劇的なものや宗教的に大きな意味を持つものではないことを確認した上で、日付や大きさ、距離などに関連する数字を探していきます。
このように、プレイヤーがパズルに関連する情報をもう少し深く考えてみるようなパズルを作ることで、「面白いけど…それがどうした」という最初の印象を超えて、何か新しいことを知ってもらえるきっかけを作りたいのです。
- 物語の着想を得られる
パズルを作る上での最大の課題のひとつは、ターゲットとなる答え、つまりキーワードを設定することです。このキーワードは、ゲームのテーマやストーリーに沿ったものでなければなりません。教育現場で言えば、教師が学習すべき教材を用意して、それに沿って授業計画を立てるようなものでしょうか。
しかし私たちの場合は、その土地からどんなストーリーが自然に生まれてくるのか、とてもオープンな気持ちでプロジェクトに臨みます。オリジナルのストーリーを作りたいと思っていても、街中の既存の要素を利用して、実際にできることに合わせてストーリーを作っていかなければなりません。脱出ゲームが白紙の状態から全く新しいものを生み出すのに対して、街歩き謎解きのプロジェクトは、既存の空間の形をそのまま引き継ぐことになります。私たちの作るストーリーはパズルの場所から多くのヒントを得ているので、ドラマチックな演出や物語の可能性を秘めた場所を見つけられることが一番理想的です。
- 裏側になにか…ある!
クリエイターなら誰でも、自分の作品があらゆる方向からどんな風に見えるか知っているものです。浅草の雷門の正面の写真は世の中に何百万枚もある。しかしその裏側に何があるのかに注目している人はどれだけいるでしょうか?同じように、荘厳な一対の銅像や、アイコンである提灯にも注目されにくい別の側面があるものです。像の裏側には作者の名前や記念日などが書かれていることもよくあります。このように、現実の世界をあらゆる方向から縦横無尽に体験したプレイヤーに「発見」という名のご褒美を提供することができるのは、とても喜ばしいことです。
「不採用」と言える場合。
- 有名すぎる
浅草を中心にたくさんのエキサイティングなイベントを作ってきましたが、浅草といえば浅草寺と言う方は多いでしょう。私も浅草寺が大好きです。深く神秘的な歴史と、想像力をかきたてる環境を持つ象徴的な場所だと思います。
しかし本殿は628年から存在しており、年間3,000万人の人々を迎えています。明らかに人気のある場所であり、その美しいディテールに更に注目してもらう必要はありません。また、仮にパズルの目的に合致したものがあったとしても、ゲームをクリアするために観光客の群衆の中に身を投じてもらうというロジスティックスは、あまり楽しいとも効率的とも言えません。残念なことに、浅草寺は私たちにとってはあまりにも有名すぎるのです。
- ユニークではない
これはよくあることです。良い感じのタイルやストリートアートを見つけると、頭の中でパズルが見えてきます。参考写真もたくさん撮ります。しかし自分ではユニークなパズルを見つけたと思っていても、振り返ると全く同じようなものが10個以上あったりするのです。
この現象は、日本の素晴らしさの一部でもあります。しかしこのような「すべてを集める」という性質を持つアート(ユビキタスアートを含む)は、豊かな環境を作るものの、結局は私たちの目的には使えません。
今までの作品の中に、日本のとある地方の別荘地をベースに作った特に自信作のパズルがありました。しかし私たちがユニークだと思っていたものは、実はどこにでもあるようなチェーン店だったのです。まあ、それはそれでいいんですけどね。
- 安定していない
日本には、はかないアート作品や季節限定のインスタレーションがたくさんありますが、それらは作品そのものよりも、そこに込められた伝統や職人の技が重要視されています。勤勉で熱意あるスタッフが、一晩でパブリックアートのインスタレーションをガラリと変えてしまう様子には本当に驚きますが、一時的なものや季節ごとに変わるものをパズルにしないように気をつけなければなりません。インスタレーションの変更は、折角作ったパズルも同時に崩壊してしまうことを意味しますからね。
- プレイエリア外にある
私たちは、何百人ものプレイヤーが同時にプレイできるゲームをデザインしてきたために、プレイヤーの視点から見た「取り組みやすい課題」を見失ってしまうことがあります。せっかくの楽しいゲームも、努力に見合わないパズルではすぐに疲れてしまいます。
素晴らしいパズルがあったとしても、プレイヤーがそれに辿り着くまでに15分歩かなければならなかったとしたら、帰りも15分歩かなければならなくなります。つまり、常にロジスティックを考慮する必要があるということです。いくら私たちがパズルのコンセプトに惚れ込んだとしても、プレイヤーはゲームに含まれていないものを見つけることはできませんからね。
- たかが石ころ、されど石ころ
ある時、Chloéと私は銅像やモニュメント、アート作品などのランドマークがたくさんあるエリアでパズルを探していました。あらゆる要素を記録しようと熱中して取り組んでいるうちに、木のそばにある大きな石をじっと見つめている自分に気がつきました。周りの人たちがにぎやかにしている中で、ふと、自分たちが他人から見てどれほど滑稽な存在であるかが分ってしまったのです。フランス人女性とアメリカ人男性が、日本人の群衆の中で、一見何の変哲もない石を熱心に鑑賞しているのですから滑稽でしょう。つまり最初は面白そうに見えても、それがパズルとしていつも「うまくいく」とは限らず、パズルが存在しないこともあるということです。時に、石はただの石ころでしかないのです。(いや、結局この石からパズルを作ったような気がする…かも…!)